山の上にある村
悲しい、でも優しく、力強い、現実にあった物語。
牧師の名前はシュテファン。
スティーブン
ステパノ。
あの、御使いのような顔が思い浮かぶ。
この物語が、1人の牧師の話ではなくて
一つの教会の話であったことに感謝。
あの混沌の時代の中で、神の福音に立つことが、何を意味していたんだろう。
今の時代にこの物語を読むことにどんな意味があるだろう。
時代は変わるけれど、信仰は変わるものなのだろうか?
時、場所、人、全てが変わったとしても、決して変わらない、何ものにも侵されない方がいて、
それを知っているからこそ、この世においても歩んでいける、そうじゃないだろうか?
否、もう、十字架を知ってしまったときから、それしか。
「みんなげんこつでテーブルを叩いてわめきます。『俺の道こそ間違いないぞ!』しかし、道はただ一つあるのみです」
「神の言葉は私たちに左右されることがありません。神の言葉はみずからその進む道を定めて、永遠に残るのです。なぜなら、それは神の言葉であるからです」
「私は、『主よ、信じます。不信仰な私をお助けください』と願うよりほかはないのだ」
嵐の中の教会 ヒトラーと戦った教会の物語
オットー・ブルーダー 著
森 平太 訳