SevenOcean’s murmuring

書けるときに書きたいものを書く。のびのび書く。自由に書く。次に書くのは一年越しかも。それでも書く。

囁き

 

 

書けるときに書きたいものを書く。

のびのび書く。

自由に書く。

次に書くのは一年越しかも

それでも書く。

 

 

御霊とは本当に不思議なもので。

霊的な場所になんて敏感なんだろうと思う。

良し悪しに関わらず、そういうところに行くと自分に様々な面で影響が出る。

 

我が家にもそんな場所はあるけれど、近付くと、重い。

地面に引き付ける重力が気持ち強くなったような、変な感じがする。

 

教会に行くと、これまた不思議で。

 

まだ慣れない日本の教会。

讃美歌とオルガン(NOT mean I don't like it)、

顔と名前のまだまだ一致しない人々(NOT mean I don't wanna get to know them)。

 

それでも何故だか、込み上げてくる何かがある。

 

嗚呼、帰ってきた。

 

言葉にしたら、そんな感じなのか。

 

「神の聖霊を悲しませてはいけません」

 

そういうけれど、御霊の感情は知り得るものなのか。

そう思っていた。

 

自分で勝ち得られるものではなく、知ろうと思って知れるものでもなく。

ある日、七日に一回訪れるその良き日に、ぽつりと囁かれる。

 

凄く嬉しい。また帰ってくることができて。

 

…そうでしょう。

私の中の、なんと住みにくいこと。

それでも喜んで入ってきてくれた。

それだけで、嬉しい。

 

外は戦いの連続で。

肉に苛まれるときもある。

理不尽に傷つけられることも、

礼拝に集中できない日もある。

 

それでもそこに行き、座って、ただ臨在を確信できる。

御霊が喜んでいる、それを知ることができる。

 

私が今まで知らなかった礼拝。

 

 

プレゼント

 

 

プレゼントをもらっても、喜べない。

 

確かにそんなこともあるだろう。自分にもそんな記憶がある

 

たとえプレゼントをあげたとしても、「あ、これ欲しいやつじゃなかったんだよね」

という感情は、不思議とばれてしまうもので。

 

ただの気持ちの押し付けかもしれない。

「私はこんなにあなたのこと想っているんだよ」

というのを気付いてほしいだけなのかも。

 

色んな感情が過るけれど、そのような感情とはいずれ向き合わなければならない。

 

「その人がプレゼントを気に入ってくれなかった時がショックだし、

そんなことで自分の気持ちを害したくない。

そんな気持ちは身体に害悪だし」

 

…私はその言葉がショックだったんだけれども。

 

そんな考え方があったとは、否、あなたはそこにいたね。

 

自分の考えをまた押し付けようとしてしまった。猛省。

 

 

一滴

 

 

日本に完全帰国して一ヶ月とちょっと。

やっと、少しだけ落ち着いてきたように思う。

 

知っている教会もない、仕事も何をしたいのかわからない。

親との会話はなんだかぎこちなく、空気は少しだけ固いように感じる。

 

それでも少しずつ、少しずつ、沼の中を歩くように進んでいる。

 

はじめた仕事は、正直自分でも想像だにしていなかった職種。

老いた人々の生活をお手伝いしている。

まったく経験のない仕事だから、何をやるにも引け腰になってしまう。

 

自分のすることが、直接人のいのちにかかわるかもわからない。

 

色んな人に、「どうしてこの仕事しようと思ったの?」と聞かれる。

まだその問いに対するはっきりした答えが出ないままだ。

 

賃金が良かったから、というのは確実にひとつに含まれるけれど。

 

飲食店でも、携帯ショップでも、なんでも良かったと思う。

どこで働こうと、用いられ、祝福されると思う。

 

しかし、どこか、何か違う。

自分に何かが足りない、と錯覚している。

 

寄り添うこと。

 

愛を手渡しすること。

 

人を恐れ、人を避け、人に媚び諂う自分に、できないこと。

 

なにもできないかもしれない。

それでも、一滴だけでも、いのちの水を。